シャルル・ド・フーコーら、3人を列福
(2005.11.13)

 

 バチカンの聖ペトロ大聖堂で13日行われたミサの中で、3人の新しい福者が宣言された。

 教皇庁列聖省長官ホセ・サライヴァ・マルティンス枢機卿の司式で行われた列福式で新たに福者とされたのは次の3人。


 シャルル・ド・フーコー(1858−1916)司祭

 1858年、フランスのストラスブールに生まれる。6歳の時、孤児となり、妹と共に祖父母のもとで育てられる。
 その後軍人となり、青年時代、信仰から離れ放蕩な生活をおくったが、1883年から1884年モロッコ探検に参加、その地のイスラム教徒たちの深い信仰心に打たれ、「神は存在するのだろうか。神よ、もしあなたが本当に存在するなら、あなたをわたしに知らしめて下さい」と祈り続けた。
 フランスに帰国したシャルルは、一人の司祭に指導を願い、1886年、28歳で神を見出す。「神が存在するとわかった以上、わたしはもう神以外のために生きることはできないと悟った」と語っている。
 その後、聖地巡礼し、キリストが生まれ生きた地で自分の召命を発見する。それは「ナザレトのイエスに倣い、従うこと」であった。この理想をもって7年間トラピスト修道院で生活するが、より厳しい生活を求めて、孤独の中に祈りと礼拝のうちに過ごすため隠遁生活に入る。
 1901年、司祭に叙階され、サハラ砂漠に向かう。その地で貧しい人々の中の最も貧しい者として祈りと聖書の黙想の中に砂漠の遊牧民と共に生活を送る。イエスの愛の生きた印として「すべての人々の兄弟」となるという絶え間ない願望を生き、「しもべがこれほどなら、先生はいかほど素晴らしい方だろう」と言われるほどに、イエスに似た生活を送るよう努めた。
 1916年、当時サハラ砂漠を荒しまわっていた盗賊団によって殺害された。


 マリア・ピア・マステーナ(1881−1951)修道女

 1991年、北イタリア、ヴェローナ近くのボボローネに生まれた。幼い頃から信心深く、教会での信心行に熱心に参加、特にカテキスタとしての努めを忠実に果たしていた。
 修道女になろうとの望みに従い、1901年ヴェローナの神の憐れみ修道女会に入会。19年間同修道会で模範的な修道女として教職や愛徳の業に励み、1927年、かねてから抱いていた観想生活への強い憧れを実現すべく、長上の同意と許可を得て、シトー会修道院に移った。
 しかし、まもなく土地の司教の強い勧めに従い、再び教職や慈善事業に携わるため、自ら「イエスの聖なるみ顔修道女会」を創立。「人々の中にイエスの優しい愛に満ちた姿を広める」という会の目的のために、霊的な娘たちである修道女たちに、その行いと言葉による貴重な教訓を残し、1951年、帰天。


 マリア・クロチフィッサ・クルチオ(1877−1957)修道女

 1877年、南イタリア、シシリー島ラグーザ近くのイスピカに誕生。アビラの聖テレジアの伝記に深く心を打たれ、カルメル会の観想的な霊性に目覚めると同時に、カルメルの聖母への深い信心を抱くようになった。
 カルメル会の第三会に入会し、社会にありながらカルメルの観想的かつ使徒的な召命を生きるよう努力した。同じ志を持つ仲間を自宅に集め、カルメル会の神父の指導の下にカルメルの理想による祈りと愛徳の生活を実際に生きるようになる。
 その後モディカに移り、その町で孤児たちや必要に迫られている少女たちの家の運営を任され、言葉と行いをもってキリストの愛を人々に伝えるという理想をその仲間たちに教えた。
 多くの困難と試練を乗り越え、この小さな共同体は「幼きイエスの聖テレジア宣教カルメル修道会」となった。同会の会員はイタリア始め多くの国々でキリストの愛を伝え、聖母マリアへの信心を広めるため、疲れを知らぬ勇敢な宣教者として活躍している。
 多くの苦しみをキリストへの愛のうちに乗り越え、1957年、帰天。


 教皇ベネディクト16世は、列福式の終わりに新福者らの聖遺物の前で祈られ、参加の巡礼団に、福者らの聖性に倣うよう励ましをおくられた。

 

 

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