使徒聖フィリポを考察
教皇一般謁見
(2006.9.6)

 

 教皇ベネディクト16世は、バチカンで6日、水曜恒例の一般謁見を行なわれた。

 ここ数日ローマには厳しい暑さが再び戻り、この日も朝から強い日差しが照りつけた。教皇は謁見会場の聖ペトロ広場をいつものように車で一周されたが、教皇が被られたつばの広い赤い帽子が巡礼者たちの注目をあびた。この帽子は、その形からサトゥルノ(土星)型とも呼ばれ、過去に教皇ヨハネ23世やパウロ6世も使用されていたスタイルのもの。

 教皇は謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、このところテーマとされているイエスの12使徒の中から、聖フィリポを取り上げて考察された。

 フィリポは12使徒の中ではいつも5人目に位置づけられており、本質的に重要なメンバーの中に入っている。彼はヘブライ人だが、アンドレアのようにその名前はギリシャ語であることから、ある程度文化的に開けた環境にいたことを示すこと、ペトロとアンドレアと同じベトサイダの出身であったことなどを教皇は紹介された。

 ヨハネの福音によれば、フィリポはイエスに呼ばれた後、ナタナエルと出会い、「私たちは、モーセが律法に記し、預言者も書いている方に出会った。それはナザレの人、ヨセフの子イエスだ」と言う。「ナザレから何かよいものがでるだろうか」といぶかしがるナタナエルに、彼は「来て、見なさい」と反論する(ヨハネ1、45−46)。

 教皇は、このはっきりとした返事に、イエスを告げることだけに満足せず、相手に自分と同じ体験をするようにと勧めるフィリポの、キリストの真の証し人としての性格を読み取られ、「来て、見なさい」という言葉がイエスご自身によっても使われている(ヨハネ1、38−39)ことにも注目された。

 フィリポの「来て、見なさい」と言う言葉は私たちにも向けられ、イエスを親しく知るようにと招いていると教皇は述べられ、友情を築くためには、相手の近くにいて、共に生きる必要があり、実際、イエスは「彼らを自分のそばに置くため(マルコ3、14)」に12使徒を選ばれ、生活を共にされ、彼の生き方を直接に学ぶだけでなく、彼が本当に誰であるのかを教えようとされたと話された。

 教皇はこの他、福音書にフィリポが登場する場面として、イエスがパンを増やす奇跡を挙げられ、この時おおぜいの群集をご覧になったイエスが「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買ったらよいだろうか」とまさにフィリポに尋ねられている点に注目され、これはフィリポがイエスの周りのごく親しい一団に属していたことをうかがわせるものと話された。

 また、この他の挿話として、ギリシャ人たちが会いたがっていることをイエスに伝えに行く場面(ヨハネ12、20−22)でも、フィリポが仲介を果たしている点を指摘された。

 さらに教皇は、最後の晩餐で「あなたがたがわたしを知っているならば、父を知ることになる」というイエスに、フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と願い、イエスは「フィリポ、これほど長く私と共にいるのに、まだ私を知らないのか。わたしを見た者は父を見たのだ。...わたしが父の内におり、父がわたしの内におられるのを信じなさい」と愛情を持って叱られる場面(ヨハネ14、7−11)を、イエスがご自分を啓示される非常に重要な場面として示された。

 伝承ではフィリポはギリシャやフリギアで福音を宣教した後、殉教者として死んだと伝えられていることを紹介された教皇は、同使徒の模範と祈りに助けられ、私たちがイエスとの友情をますます深め、他の人々を大きな喜びをもって「来て、主に会ってごらんなさい」と招くことができるようにと祈られた。

 謁見の終わりに教皇は、9日(土)から始まるドイツ・バイエルン地方司牧訪問で、登位後初めて故郷に戻られることに触れられ、訪問の実りのために共に祈って欲しいと信者らに願われた。

 → 教皇一般謁見・カテケーシス

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