ヴェローナ司牧訪問
ミサ説教(抄訳)
(2006.10.19)

   

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 このミサ聖祭において私たちは今まさに、聖ペトロの後継者を囲み、第4回イタリア全国教会会議の最も中心となる行事を行っています。教会の中で行われる行事の中で最も大切なのは聖体祭儀です。

 今日のこの荘厳ミサの会場として、ヴェローナ・サッカー競技場が選ばれたことを、大変意味深いと私は思います。なぜなら、この場所は普段は何万人ものサッカー・ファンがスポーツ競技を観戦に来る所です。ところが、今日、この同じ場所が、み言葉の中に、神の民の集いの中に、そして特にご聖体の秘跡の中に、現存される復活されたイエスをお迎えするのです。イタリアの教会が豊かに聖霊を注がれ、その新たな聖霊降臨の息吹きに生かされて、変革し続ける世界に福音を伝えることができるようになるために、今日、キリストはこの近代的な競技場においでになります。

 今、読まれたばかりの聖書朗読は、「世界の希望、復活のイエスを証ししよう」という今回の大会テーマをよく表しています。神のみ言葉は、キリスト教徒たちを生き生きとした希望に再生させた出来事として、キリストの復活を強調しています。それは、使徒聖ペトロがその第一の手紙の冒頭でも言っているとおりです。

 私も聖ペトロの後継者として喜びをもって言います、「私たちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように」と。なぜなら、神は御子の復活を通して私たちを再生させ、信仰において永遠の生命への確固とした希望を与えてくださったからです。こうして、私たちはこの世にありながら、絶えず未来の目的、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストとの最終的な出会いに向かって行くのです。

 この希望に強められ、私たちは試練を恐れません。たとえ試練がつらく重いものでも、神の愛に由来する深い喜びを損なうことは決してできません。神はその憐れみ深い摂理によって、御子を私たちのために与えてくださいました。私たちはキリストをこの目で見てはいませんが、彼を信じ愛しています。私たちは彼の愛だけで十分なのです。

 この愛の力から、イエスの復活に対する確固とした信仰から、私たちのキリスト教的証しが絶えず生まれ、そして新たにされるのです。ここにこそ、初期の福音宣教がその教えを汲み取り、また今も神の民を養い続ける「信仰宣言」が根を張っているのです。

 福音のメッセージの本質を形成している「ケリグマ」の内容は、私たちのために、人となられ、死に、そして復活された、神の御子キリストご自身です。キリストの復活こそ、キリスト教の中心的神秘であり、救いについてのすべての預言の完成なのです。

 事実、復活された主の光は、聖霊降臨の日から使徒たちの生活を完全に変えてしまいました。使徒たちはその時から、自分たちはもはや単なる一つの新しく興味深い教えの弟子ではなく、彼らの同時代の人々やそれに続く世代の人々の救いがかかる啓示のために、特に選ばれた責任ある証人になったのだという、はっきりとした自覚を持つに至ったのです。復活信仰は彼らの心をこの上ない熱意で満たし、いかなる困難、死にさえも立ち向かえる力を与え、彼らの言葉に非常な説得力を持たせたのです。

 私たちはあの勝利に輝く証人たちの後継者です。キリストが本当に復活されたという確信は、どのような反対の力も教会を滅ぼすことはできないと私たちは信じています。ただキリストだけが人間の心の深い願望を完全に満たすことができ、また、苦しみ、正義、悪、死や来世などの不安な問題について答えることができるのだという自覚が、教会を生かしているのです。私たちの信仰には土台があります。けれどもこの信仰は私たち一人ひとりの中で生きたものとならなければなりません。

 キリスト信者は「復活されたキリストの証人」と言われます。この定義は、聖ルカによる福音に由来します。同じことが使徒言行録にも記されています。「復活されたキリストの証人」という時の「の」は、キリストに属する証人という意味です。だからこそ、キリスト者はキリストについて説得力のある証言をし、キリスト自身について正しく語り、キリストを人々に知らせ、人々をキリストにまで導き、キリストとの親しい交わりの中に招くことができるのです。

 キリストは世の希望です。なぜなら、彼は復活されたからです。キリストは神だから復活されたのです。キリスト者たちも世界に希望をもたらすことができます。なぜなら、キリスト者はキリストと共に罪に死に、愛と赦しと奉仕と非暴力の新しい生命に生まれ変わったことにおいて、キリストと神に属するものになったからです。「あなたは信じた。洗礼を受けた。古い生命に死に、十字架上で死に、洗礼の中に葬られた。あなたがこれまで生きてきた古い生命は葬られ、新しい生命がよみがえるのだ」と聖アウグスティヌスも言っています。

 キリストのように、この世に属さないでこそ、キリスト者も世にあって、世のための希望となれるのです。

 

 

 

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