2011-12-20 17:39:54

教皇、レビッビア刑務所で受刑者らと対話


教皇ベネディクト16世は、18日訪問したローマのレビッビア刑務所で、受刑者らと対話された。

教皇と受刑者たちとの出会いは、人間的で感動に溢れたものとなった。

受刑者たちの代表らが教皇に歓迎の挨拶と共に受刑生活の状況や心情を述べながら、いくつかの率直な質問を向けた。教皇は受刑者らの話に真摯に耳を傾け、温かく誠実な言葉で答えられた。

受刑者の代表と教皇との間には次のような対話がなされた。(一部抜粋)

代表1:「教皇のこのたびの訪問は、非常に困難な状況にあるイタリアの刑務所にとって、大きな連帯と慰めをもたらすものです。政治家や当局者の努力で、受刑者をはじめすべての弱い立場の人々に、人間として認められるべき尊厳と希望が取り戻されることを願います。」

教皇:「受刑者の皆さんのことをいつも思い、祈っています。受刑生活の困難な状況が、神と人との友情を新たにすることを助けるどころか、時に精神的なダメージさえ与えていることを知っているからです。私はこの訪問を通して、キリストの愛のうちに、皆さんに連帯の気持ちを伝えると共に、刑務所の直面する問題を市民や政府に喚起することができたらと思います。刑務所は正義を確立する目的を持ち、正義は人間の尊厳の重要な要素です。尊厳を育てるためには、皆さんの尊厳が尊重されると共に、皆さん自身も自分の尊厳を新たに築きあげることが大切です。」

代表2:「実に多くのことを聞きたいと思っていましたが、今は質問よりも私たちの苦しみと親愛の情をあなたに託したい気持ちでいっぱいです。」

教皇:「私もあなたを愛し、胸を打つあなたの言葉に感謝します。私が来たのは、あなた方の中に主が待っておられるからです。皆さんの人間として認められたいという願いを知ると共に、皆さんに主の存在が必要だと思うからです。主は皆さんを助けるでしょう。祈りの中で私はいつも皆さんと一緒です。祈りは一つの現実です。皆さんに祈るように勧めます。祈りは主とつなぐ綱です。主に向かう中で私たちも祈りで一緒に結ばれているのです。」

代表3:「私は2ヶ月前に一人の素晴らしい女の子を授かり、父となりました。今は新しい人間に生まれ変わったように感じます。」

教皇:「それはおめでとうございます。あなたが父親となられたこと、新しい人間になったと感じていることを本当にうれしく思います。これは神のお恵みです。ご存知のように、教会の教えの中で家庭は基本的な役割を占めています。父親がその子を腕に抱くのは大切なことです。あなたが現実にその子を腕に抱くことができる日が一刻も早く訪れ、奥さんとお子さんと素晴らしい家庭を築き、国の未来に貢献することをお祈りします。」

代表4:「私たちは家庭から離れていますが、人生から離れたわけではありません。私たちは道を踏み外し、人に迷惑をかけましたが、今は立ち上がろうとしています。しかし、私たちは忘れられ、たまに人が私たちについて語る時はとても冷酷に、まるで私たちを社会から除外したいかのような、人間として認めていないような印象を受けます。」

教皇:「あなた方のことを冷酷に話す人たちがいるのは、残念ながら確かかもしれません。しかし、皆さんのことをよく話し、皆さんのことを思っている人たちがいるのも確かです。冷酷に話す人たちのことは我慢しましょう。教皇でさえも冷酷に扱われることがあります。皆さんに思いを寄せ、皆さんの苦しみを知り、皆さんが立ち上がるのを助けてくれる人たちを応援し、皆がこうした人間的な考え方になれるようにと願います。」

代表5:「神は私たちの心の中をご覧になり、心を読まれると教えられました。ならば、ゆるしが司祭に託されているのはなぜでしょうか。もし、私が部屋の中で一人ひざまずき、神に向かうならば、神は私をゆるしてくださるでしょうか。」

教皇:「あなたが投げかけた質問はとても重要です。二つのことが言えるでしょう。一つは、あなたがひざまずき、神への真摯な愛をもって、神にゆるしを祈るならば、神はあなたをおゆるしになるということです。人が心から悔い改め、善への愛、神への愛のためにゆるしを願うならば、神のゆるしを受け取ることができます。しかし、ここに二つ目の要素があります。罪はただ神と自分との間の『個人的』なものではなく、それは常に社会的側面を持っています。罪の持つ社会性、いわば水平的側面は、人間の共同体レベル、教会共同体のレベルにおいてもゆるされる必要があります。ここに秘跡が必要となります。司祭を通してのゆるしは、神の愛を制限するものではなく、むしろ神の愛を表現するものです。人には神との垂直のつながりと、共同体的な水平のつながりの両方があり、神は私をゆるすと共に、私を神の子らの共同体に受け入れることを望んでおられるのです。ゆるしの秘跡は主の優しさ、和解の確かさを見出させてくれるのです。」

代表6(アフリカ出身の男性):「教皇は先日アフリカを訪問されました。そこで、人々のキリストに対する信仰と情熱と共に、人種差別や飢餓など、様々な苦しみをご覧になったと思います。神に希望を置く人々が貧困や暴力のために亡くなるのを見て、私は、神はなぜ彼らに耳を傾けないのかと問いたくなります。」

教皇:「あなたの大陸を訪問して私はとても幸いに思いました。アフリカの人々から受けた非常に熱心な歓迎に、ヨーロッパではやや減少しつつある人間的な温かさを感じました。そして、その温かさと共に彼らの生きる喜びをも感じました。貧困や疾病をはじめ多くの大きな苦しみにも関わらず、そこには生きる喜び、人間としての喜びがありました。それは人々に神が良い方であり、私を愛してくださるという意識があるからです。私の印象ですが、苦しみのある国には豊かな国よりも多くの喜びがあるように思われます。豊かな国に喜びが欠けていることはよく見られることです。私たちはあまりに多くの問題に気をとられ、自分自身から遠ざかるだけでなく、神の存在や神が近くにいることを忘れているのです。ですから、この2つの立場が互いに補い合うことが必要でしょう。私たちはアフリカの国々が貧困など多くの問題を克服できるよう助けると共に、アフリカは私たちに物質的なことより重要なことがあるとわからせるよう助けることが必要なのです。」

教皇との対話の後、受刑者による祈りと、教皇と受刑者が共に唱える主の祈りが続いた。

教皇はこの日の受刑者らによる歓迎を深く感謝され、主の降誕を待つ中、皆の心に光が訪れることを祈られた。








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