教皇ベネディクト16世は、18日夕方、ケルンの司教座大聖堂を訪問され、同聖堂に保管される東方三博士の聖遺物の前で祈られた。この後教皇は大聖堂前に集まったワールドユースデー参加者や市民たちに挨拶をおくられた。
若者たちによるライン川の船上での歓迎会の後、教皇は参加者らと共に船を降り、大聖堂へと向われた。世界大会ごとに各国を回ったWYDの十字架を先頭に、「パパモービレ」と愛称される教皇の特別車がゆっくりと進み、その後に各国旗を掲げた若者たちが続いた。
ケルンのシンボルである大聖堂は、幅86m、奥行き144m、高さ157mと、北ヨーロッパでは最大のゴシック聖堂で、その威容は町のいたる所から眺められる。大きさだけでなく、緻密にして調和ある外観が印象深い同大聖堂だが、その歴史は大変古い。大戦下の1941年、防空壕を掘る作業中、現在の大聖堂の下に2世紀頃のローマ時代の別荘の床が発見され、戦後には6世紀頃の改築の跡が見られる初期キリスト教時代の教会の一部も発見されている。この初期聖堂は9世紀に再建されたが、1164年東方三博士の聖遺物がミラノからもたらされると共に、巡礼者の数が増し、さらに大きい聖堂の建設が必要となった。こうして1248年に新聖堂の建設が始まり、長い中断を経てようやく1880年に現在の大聖堂が完成した。
大聖堂に入られた教皇は中央祭壇に赴き、東方三博士の聖遺物の前で長く祈られた。東方三博士は、星を追ってベツレヘムへ行き幼子イエスを礼拝したことで知られる。今回のワールドユースデーは、東方三博士たちの言葉、「わたしたちはイエスを拝みに来たのです(マタイ2、2)」をテーマに掲げている。
この後、外に出られた教皇は、集った人々に挨拶をおくられた。大聖堂前はWYDの参加者たちだけでなく、同じドイツ出身の教皇を歓迎する一般市民で埋め尽くされた。
教皇は人々への挨拶で、かつてボンで教授をしていた時代にケルンによく来ていたことや、恩人や友人などの思い出を語り、この町への愛着を表されると共に、今回のWYDの開催準備に惜しみない協力をした地元関係者や市民に感謝を述べられた。
さらに教皇はケルンと東方三博士の大切な結びつきを強調するに留まらず、聖ウルスラ、聖ボニファチオ、聖大アルベルトから聖エディット・シュタインまで、この町にゆかりの深い聖人たちの名を次々に挙げ、ケルンに今日も息づく豊かなキリスト教の歴史と遺産を示された。
そして、「今日こうして教会の普遍の息吹を生きていくのはあなたたちです」と最後に教皇は言葉を若者たちに向けられ、「新しい聖霊降臨が皆さんの心を新たにするよう、聖霊の火を燃え上がらせなさい」と呼びかけられた。
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