北イタリア、ヴィチェンツァで6日、エウロジア・ファブリス(1866−1932)の列福式がとり行われた。
列福式はヴィチェンツアの大聖堂で、チェーザレ・ノシリア司教の司式、教皇庁列聖省長官ホセ・サライヴァ・マルティンス枢機卿出席のもとに行われた。
この日ヴィチェンツアは激しい雨に見舞われたが、大聖堂には多くの信者が詰め掛け、新福者の列福を祝った。
エウロジア・ファブリスは、1866年、ヴィチェンツア近郊の寒村の貧しい農家に生まれた。小学校に2年通学し、その後は両親を助けるため畑仕事と家事に専念。しかし、生来聡明な彼女は聖書や信心書を読む力を養っていた。
早くから小教区の聖母信心会の会員となり、キリストの御母の諸徳に倣う努力を惜しまなかったエウロジアは、1885年、その生涯の行く方を決定する一つの出来事に遭遇した。近くの貧しい農家の年若い主婦が3人の幼い子どもを残して他界、その中の一番小さい子もすぐに母親の後を追い、後に残された2人の生存も危ぶまれる状態となった。エウロジアは懸命にこれら2人の遺児の世話をし、やがて村の主任司祭の勧めでこの子どもたちの父親と結婚することになった。
このうえ、夫との間に9人の子どもに恵まれ、さらに数人の孤児をも引き取ったが、聖書が語る賢明で聖なる婦人のごとく、妻として母として、深い信仰にささえられた模範的な生活を送った。子どもたちの中の3人は後に司祭となった。
家庭生活の中でエウロジアは熱心に聖書を読み黙想し、祈りのうちに神への愛と家庭への愛を融合させた。1930年、夫の死後、フランシスコ会第三会員となり、聖フランシスコに倣い喜びと清貧の中に、信徒としてのキリスト教的諸徳を英雄的に生き抜き、日々、神と隣人への愛の奉仕に自分自身を燃え尽くし、1932年、神のもとに旅立った。
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