教皇ベネディクト16世は、バチカンで15日、水曜恒例の一般謁見を行われた。
春めいた陽気に恵まれたこの日、謁見は約3万人の巡礼者を集め、聖ペトロ広場で行われた。
謁見中の教皇によるカテケーシス(教会の教えの解説)では、2001年4月からほぼ5年間続いたテーマ「教会の祈り(聖務日課)中の詩編・賛歌の考察」に変わり、新テーマ「キリストと教会の関係の神秘」がこの日よりスタートした。
教皇はこのテーマにおいて、使徒たちの体験に始まり彼らに与えられたその使命までを考察したいと述べられ、さっそくこの日の主題「教会と12人の使徒の選択におけるイエスのみ旨」に入られた。
教会は、イエスと出会い、その呼びかけに応えた使徒たちを基礎として、信仰・希望・愛の共同体として形成されたものであり、使徒たちを通して私たちはイエスそのものに遡ることができると同時に、イエスのみ顔の光の反映を教会の顔に見ることができると述べられた。
マリアに続き、その言葉と行いを通してキリストの光を純粋に反映し、キリストの真実を伝える存在として教皇は使徒たちを掲げられ、その使命は孤立したものではなく、神との古い契約から新しい契約への移行を実現し神の民すべてを巻き込む交わりの神秘の中に位置づけられると説かれた。
教皇は、イエスの説教は常に個人的な回心を呼びかけるものだったとしても、現実にはその救いの業は神の民を呼び集め、救うことにあったと強調、神の国はそれぞれの心に到来するという個人主義的解釈は根拠のない偏ったものであると述べられた。
また、これに関連して、12人の弟子はイスラエルの12部族を連想させるものであり、さまざまな出身の12人の弟子の存在は、新しい契約に基づく共同体を集め、古い契約を完成させようとするイエスの明らかな意志の表れであると説明された。
そして教皇は、12使徒は教会の存在とその使命をめぐるイエスのみ心を示すもので、キリストと教会の間に何の対立もなく、そこにむしろ深い神秘的な継続性があることの保証であるがゆえに、一時期見られた「イエスは信じるが教会は受け入れない」といった考えはイエスの意志とは相容れないと指摘された。
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