昨年4月2日の前教皇ヨハネ・パウロ2世の逝去から、間もなく1年を迎えようとしている。同教皇が公の前に最後に姿を見せられたのは、ちょうど1年前の3月30日であった。
同教皇の体調の変化は、昨年の四旬節の少し前から始まった。昨年2月1日(火)、インフルエンザによる急性咽頭炎のため入院。順調な回復が告げられ、日曜日を迎えた同月6日、病室の窓から祝福をおくられ世界中の信者らを安堵させた。9日(水)には、四旬節入りを告げる灰の水曜日の儀式を主治医たちと共に病室で行われ、翌10日に退院された。
退院後は、2月13日(日)正午の集いで、祈りと短い挨拶、同じく20日(日)には、説教全文と巡礼者への挨拶をこなされるなど、回復の様子が見られた。
しかし、退院から2週間後の同月24日(木)に再入院、呼吸の不十分を訴えられたため、気道を確保するための気管切開手術が行われた。教皇はこの2度目の入院中、呼吸と発声の回復訓練を行われると共に、2月27(日)、3月6日(日)9日(水)13日(日)には信者に窓から挨拶や祝福をおくられ、11日(金)にはバチカンを定期訪問中のタンザニア司教団と病室の隣の礼拝堂でミサを捧げられるご様子がTVで紹介された。
3月13日(日)夕方に退院された教皇は、バチカン宮殿で静養を続けられ、16日(水)には巡礼者を窓から祝福、聖週間を前にした17日(木)ローマのラテランの聖ヨハネ大聖堂での若者たちの祈りの集いにはビデオ中継を通してバチカンから参加された。
聖週間に入ってからも、教皇は信者たちとの霊的交流を深められ続けた。聖週間初日、20日の枝の主日(受難の主日)には、オリーブの枝を振って会衆を祝福。3月23日(水)に聖ペトロ広場の巡礼者たちを祝福。聖金曜日の26日には、バチカン宮殿の礼拝堂からビデオ中継を通し、コロッセオで行われていた十字架の道行きに参加、最後の部分(14留)では自ら十字架を高く掲げられ道行きを締めくくられた。
そして、復活祭徹夜ミサが行われた3月26日(土)夜には、自室でミサの中継をご覧になりながら信者らに一致。復活の主日27日は、教皇庁国務長官アンジェロ・ソダノ枢機卿が復活祭メッセージを代読、教皇はその間15分間にわたり窓辺に留まられ、ローマと世界に向けて教皇祝福をおくられた。
復活祭の余韻にある3月30日(水)、教皇による水曜日の一般謁見は行われないことは知りつつも、若者たちを中心に何千人という巡礼者たちが聖ペトロ広場に集った。教皇宮殿を見上げる人々の間から時おり歌声が沸き起こった。そのうち、静かに窓が開き教皇が姿を表された。毎水曜日の信者たちとの触れ合いを決して諦めることのない教皇は、広場の信者たちにマイクを通して挨拶をおくろうとされたが、残念ながら声を発することはできなかった。教皇の側近がメッセージを代読、教皇は十字を切って巡礼者らを祝福された。この間、数分間ではあったが、信徒たちの感動は非常に大きく、ある者は拍手と歓声を上げ、ある者は涙ぐみ、ある者は広場で祈り続けた。この日が実質的にヨハネ・パウロ2世と信者との最後の出会いとなった。
同日、バチカンのナヴァロ・ヴァルス広報局長は、栄養摂取を高め体力の回復をはかるため教皇が鼻から胃に通したチューブで栄養補給を始めたことを発表した。
翌31日夜より教皇の体調は急激に悪化、泌尿器系の強い炎症により高熱に襲われた。4月1日には心臓・腎臓・呼吸器機能も低下。2日に再び高熱に見舞われ、同日21時37分、84歳で帰天された。
ヨハネ・パウロ2世の逝去から1年を迎え、教皇ベネディクト16世は来る4月3日夕方5時30分から、前教皇を追悼するミサをバチカンでとり行われる。
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