キリストの十字架上での死を記念する聖金曜日、14日の夜、教皇ベネディクト16世はローマ市内のコロッセオで十字架の道行をとり行われた。
十字架の道行は、キリストの受難を黙想しながら行なう信心業。
伝統であるこの儀式には、ローマ市民はじめ大勢の巡礼者が参加、会場一帯は人々が手にするろうそくの光で瞬いた。
十字架の道行は、ローマ時代、多くのキリスト者が殉教を遂げた場所、古代劇場コロッセオから始まり、向かい側のパラティーノへと向かった。闇の中に浮かぶ遺跡群を背景に、人々がキリストの受難を黙想しながら上げる祈りが響いた。
14留ある道行を教皇は代表の人々と共に祈りながら歩み、第1留と第14留には自ら十字架を掲げられた。
アンジェロ・コマストリ大司教が書き下ろした今年の道行の黙想と祈りは、罪の意識を失い、悪を弁明し、偽りやエゴイズムに走る人類を見つめ、世界や社会、家庭や個人が直面する今日の苦しみに思いをはせつつ、希望と救いを求める内容となった。
教皇は終わりの説教で「十字架の道行は過去のことではなく、世界を抱き、大陸と時代を横切るもの」と強調。「十字架に今日の人類のあらゆる苦しみが映し出されている」と述べられ、見捨てられた子どもたち、脅威にさらされる家族の存在、分裂した世界、飢えと渇きに苦しむ人々への無関心など、人類の傷を直視された。
また同時に教皇は、十字架の道行においてあいまいな立場でいることはできず、各自がその中でどこにいるのかをはっきり見極めるべきと促された。
一方で教皇は、聖母の愛と忠実をはじめ、道行に見いだされる慰めの要素をも指摘。多くの聖人たちがイエスの苦しみの道の中に愛と信仰を得たように、それぞれがイエスと共に真理と愛の道を見つけるようにと招かれた。
教皇は最後に、十字架の道行とは憐れみの道、救いの道であると説かれ、皆が主の憐れみに感化されるよう祈られた。
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