聖母月始まる:
教皇、ローマ郊外の聖母巡礼聖堂へ
(2006.5.1)

 

 教皇ベネディクト16世は、1日、ローマ郊外にある神の愛の聖母巡礼聖堂を訪問された。

 ローマ市南方のカステル・ディ・レーヴァにある神の愛の聖母(マドンナ・デル・ディヴィーノ・アモーレ)巡礼聖堂は、ローマ市民に最も愛されている巡礼地の一つ。のどかな田園地帯が広がるこの地に聖母に捧げる聖堂が建てられたのは18世紀半ばのこと。

 1740年、ローマに向かっていた一人の巡礼者が道に迷い、このあたりをさまよっていると突然猟犬たちの群れに襲われた。逃げ場をなくした巡礼者は、カステル・ディ・レーヴァの古い塔の壁に描かれた聖母画をとっさに見上げ、「聖母よ、お恵みを!」と祈った。すると、猟犬たちは去り、巡礼者は救われた。奇跡の話は人々の間に広まり、1744年、巡礼聖堂が建てられ、翌年、塔の聖母画は聖堂内に安置された。

 第二次世界大戦中の1944年1月、教皇ピオ12世の命で、カステル・ディ・レーヴァの聖母画は、一時的にローマの教会に移された。当時、ローマはナチス・ドイツ軍の占領下にあったが、この頃、南方からイタリアに上陸した英米連合軍は次第に首都ローマを目指していた。ピオ12世は、ローマにおけるドイツ軍と連合軍の決戦を回避できるよう、市民に聖母への祈りを呼びかけた。最初聖ロレンツォ・イン・ルチーナ教会に、数日後聖イグナチオ教会に移された神の愛の聖母の聖画の前で市民は聖霊降臨前の8日間の祈りを行い、祈りが8日目に達した6月4日、ドイツ軍はローマでの抗戦を断念し退却、連合軍は武力を行使することなくローマに入場した。

 前教皇ヨハネ・パウロ2世は登位後間もない1979年5月1日に同巡礼聖堂を訪問。また、1999年には、旧聖堂の隣に建設された新しい聖堂の献堂式をとり行われている。

 教皇ベネディクト16世もまた、枢機卿時代からこの巡礼聖堂に親しみ、同地でミサを捧げたり、黙想の時を過ごされてきた。

 伝統的に聖母に捧げられた月、5月の初日であると同時に、暦で労働者聖ヨセフを記念したこの日の午後、教皇はバチカンからカステル・ディ・レーヴァに向かわれた。緑の丘の上の巡礼聖堂内外は家族連れや小教区のグループなど、教皇を待つ巡礼者たちであふれた。

 教皇は旧聖堂に安置された聖母画の前で、ローマ教区の聖職者や巡礼者たちとロザリオの祈りの喜びの神秘を唱えられた。

 祈りの後の説教で、聖母は私たちに対する神の愛と優しさと慈しみの実り・しるしであると述べられた教皇は、生活の喜びや苦しみの中で私たちの必要と希望を聖母に祈りましょうと招かれた。

 さらに教皇は、第二次大戦中、ローマ市民が戦争の災禍を逃れることができるよう神の愛の聖母に祈り、自らの回心を約束したのと同様、今日の世界もまた愛である神への回心を必要としていると説かれ、世界が戦争とテロリズムから解放されるよう、平和の元后、聖母マリアに祈りを捧げられた。

 

 

 

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