教皇ベネディクト16世は、バチカンで17日、水曜恒例の一般謁見を行なわれた。
初夏の日差しの下、聖ペトロ広場で行なわれた謁見には、およそ4万5千人が参加した。
この日のカテケーシス(教会の教えの解説)で教皇は、教会とは何か、主がこの新しい家族に望まれることは何かを考える中で、教会は人々の中に存在するということ、主はこの新しい現実を12使徒に託されたということを学んだと、教皇は前回までの流れを振り返られ、さらに教会を生きるとは、イエスに従うとはどういうことかを人々の中に見出すために、これからは12使徒たちの一人ひとりを取り上げて生きたいと説明、その始めとしてまず、使徒聖ペトロをテーマに話された。
新約聖書中、最も多くその名前が登場するペトロは、ガリラヤ湖で家族で漁を営む者で、真剣な宗教的関心に動かされ、神を欲し、兄弟アンデレと共に洗礼者ヨハネの説教を聞くためユダヤの果てまで出かけるほど熱心な人物であったと、教皇は紹介。敬虔なユダヤ教徒である彼は民の歴史の中で働く神の業に信頼し、その力ある業をこの目で見ることができないことを嘆いていたと述べた。
また、教皇はシモン(ペトロ)のパーソナリティーについて、福音書の中で強く衝動的な性格の持ち主として書かれている一方、純粋で、怖がりの面もあるが、誠実な悔悛(マタイ26、75)に至るまでともかく正直な人であったと述べ、福音書にその霊的歩みの一歩一歩を見ることができると指摘された。
教皇はその中でも、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をすなどる漁師となる」(ルカ5、10)と言われたイエスとの最初の出会い、また、フィリポ・カイサリヤ地方で、「人々は私を何者だと言っているのか」「では、あなた方はわたしを何者だと言うのか」というイエスの問いに、「あなたはメシアです」(マルコ8、29)と答えるペトロの信仰宣言、ペトロのイエスに対する人間的な期待に「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(マルコ8、33)と叱られるエピソードなどを挙げられた。
教皇は、こうしてイエスに従うとはどういうことかを学んでいったペトロに倣い、私たちもまた勇気と謙遜をもって道・真実・命であるイエスに従っていかなければならないと、信者たちに呼びかけられた。
カテケーシスに続く巡礼者への挨拶で、教皇は特に聖母に捧げられた5月にあたり、ロザリオの祈りをより実践するようにと招かれた。そして、若者たちにはこの伝統的な祈りを通してキリストの救いの業の中心的な出来事をよりよく理解するように、また病者らには聖母に自分たちの必要を託すように、さらに新婚の夫婦たちには霊的成長のために家庭内でロザリオの祈りをすすんで唱えるよう勧められた。
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