ポルトガルのビゼウで、28日、マードレ・リタ・アマーダ・デ・ジェズスの列福式が、教皇庁列聖省長官ホセ・サライバ・マルティンス枢機卿によってとり行なわれた。
リタ・アマーダ・デ・ジェズス(本名:リタ・ロペス・デ・アルメイダ)は、1848年、ポルトガル中北部に生まれた。
大変信仰深い家族のもとで早くから召命の芽を育てたが、当時のポルトガルは反教会的風潮に影響され、カトリック教会にとっていわば受難の時代であり、リタは激動する社会状況の中で自らの信仰の道を突き進むことになる。
リタの生まれる前、1830年代にはすべての男子・女子修道会の解散と財産没収が行なわれ、新しい修道者を育てることは不可能になっていた。彼女は日常生活と地域の中で使徒職を行ないながら神に自分を完全に奉献する日を待った。
29歳でようやくある修道会に入会、それはフランス籍であるためにポルトガルで唯一認可された修道会だった。この間、貧しい少女たちに奉仕するという自分の目標をしだいにはっきりとさせたリタは、指導司祭の勧めでその修道会を退会、ある寄宿学校に入り学校運営の実際を学び、32歳で自らの修道会「イエス・マリア・ヨセフ修道女会」とその学校を立ち上げた。
同修道会は急速にポルトガル各地に広がったが、行政当局はあらゆる方法で会の活動を妨げようとした。
1910年に共和制が敷かれると同時に、再び教会に対する厳しい迫害が強まり、修道会は廃止され、会の財産は取り上げられ、リタは故郷に蟄居することになる。
しかし、リタがかろうじてブラジルに送った数人の会員たちは、1912年、イガラパヴァで初の共同体を創立、1914年には多くの会員と志願者と共にサン・パウロに同会の本部を設立した。だが、リタはそれを見ることなく1913年、カサルメディニョで帰天した。
その後、会は大きく発展し、ポルトガルはもちろん、現在ではアンゴラ、ボリビア、パラグアイ、モザンビークにも拠点を持つようになった。
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