教皇ベネディクト16世は、ポーランド訪問2日目の日程を終了した26日夜、クラクフに到着された。
中世期に大きく発展し、ワルシャワ遷都(1611年)までポーランド王国の首都であったクラクフは、ポーランド史の中で常に重要な役割を果たしてきた都市である。青年カロル・ヴォイティーワ(のちの教皇ヨハネ・パウロ2世)は、20歳の頃、父と共に生地ワドヴィッツェからクラクフに移り、以降ここで学生・労働者・司祭・司教・枢機卿として40年間を過ごした。
夜8時過ぎ、チェンストホーヴァからヘリコプターでクラクフに到着されたベネディクト16世は、すでにライトアップされたクラクフの旧市街地に車で入場、鈴なりの市民たちの熱い歓迎を受けられた。
大司教館に入られた教皇は、かつてヨハネ・パウロ2世がクラクフ訪問のたびにそうされていたように、窓辺に姿をお見せになり、外に集った何千人という若者たちに挨拶をおくられた。
教皇は「親愛なる前教皇の帰天(2005年4月2日)以来、毎月2日に皆さんがここに集い、彼の列福のために祈っていることを知っています。この祈りが列福調査に関わる人々を支え、皆さんの心を恵みで満たしますように」と述べられた。
また、ヨハネ・パウロ2世が最後のポーランド訪問(2002年8月)で「時の流れに対する唯一の薬は、復活でありいのちである主イエスだけであり、老いや死にも関わらず、若さは神の中にある」と話されたことを思い起こされ、「神における青年、前教皇は今も私たちの間にいる」と若者たちを励まされ、心を込めて祝福をおくられた。
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