教皇ベネディクト16世は、聖母の被昇天の大祝日を迎えた15日、滞在先のカステルガンドルフォで、ミサと正午の祈りを行われた。
まず、この日の早朝、教皇は離宮前の広場の一角にあるヴィラノーヴァの聖トマス教会でミサを捧げられた。教皇は町の広場を横切り教会に向けて歩かれる間、市民や巡礼者たちの盛んな歓迎を受けられ、ベルニーニ設計の小さな教会は、入りきれないほどの信者であふれた。
教皇は原稿を用いずに行なったミサの説教で、「今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と呼ぶでしょう」(ルカ1、48)という、教会と神の民の聖母への変わらぬ崇敬を預言するともいえる「マニフィカト」中のマリアの言葉を観想された。
マリアが「幸いな者」であるのは、「信じた方はなんと幸いでしょう」(ルカ1、45)と聖霊に満たされたエリザベトが言ったように、マリアが何よりも神を信じる者であり、神と一致し、神と共に、神のうちに生きる者であるためと教皇は説かれ、神の住みかとなったマリアは、私たちに真の幸福が何であるかを示してくれると述べられた。
続いて、正午から教皇は離宮の中庭で、アンジェラスの祈りの集いを持たれた。
教皇は、ここでも地上での生涯を終え天に上げられたマリアを、すべての信者の模範、支えとして称えられ、その姿は「上にあるものに心を留め、地上のものに心をひかれない」(コロサイ3、2)ことが大切であり、天こそが私たちの地上の巡礼の最終目的地であることを思い出させてくれると話された。
そして教皇は、この日ハリッサのレバノンの聖母巡礼聖堂で教皇特使ロジェ・エチガライ枢機卿司式のミサに参加している信者たち、また同様にナザレのお告げの大聖堂でイスラエルとパレスチナの教皇使節アントニオ・フランコ大司教と共に祈っている人々に思いをはせられた。
また、民族紛争に脅かされるスリランカ、日常的な流血の惨事が和解と復興を困難にしているイラクをも憂慮された教皇は、世界の様々な地で暴力に苦しむ人類を平和の元后マリアに託され、すべての人々が理解の心と協調・調和への意欲を持てるようにと祈られた。
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