教皇ベネディクト16世は、バチカンで30日、水曜恒例の一般謁見を行なわれた。
8月最後の一般謁見となったこの日、会場のパウロ6世謁見ホールは夏休みを利用して世界各国から訪れた8千人以上の巡礼者でいっぱいとなった。
滞在中のカステルガンドルフォよりローマ入りされた教皇は、会場でにこやかに巡礼者たちに挨拶されながら、いつもの通りまずカテケーシス(教会の教えの解説)を始められた。
このところキリストの12使徒をテーマとされている教皇は、この日使徒また福音記者である聖マタイを取り上げられ、神の憐れみの深さと、その呼びかけに無条件に寛大に応えることの重要性について話された。
教皇はまず、12使徒としてキリスト自身から選ばれた聖マタイがどういう人であったかを説明された。マタイは当時のユダヤ人社会では公の罪びととみなされていた徴税人であって、一般に忌み嫌われていた人々の一人だった。ユダヤ人を搾取していたローマ帝国側にある者で、ユダヤ人でありながら同胞からの搾取に加担する者であった。
しかし、キリストは人を決して差別することなく、マタイの中にあるよい面を見抜き、「私に従いなさい」と声をかけ、マタイは福音書に語られるごとくキリストの言葉に迅速にかつ寛大に応え、すべてを捨てて従ったことに教皇は注目された。
教皇は神の召し出しに従うためにキリストとは両立しないすべてを捨てただちにキリストに従ったこのマタイの生き方に大きな模範と励ましを見出され、各人がそれぞれの場でキリストの声に聞き従うために、マタイのような寛大さと勇気を持つよう励まされた。
また、キリストがマタイ(=レビ)の家で食事の席についていることをユダヤ人たちが非難した時、それに答えたキリストの「医者を必要とするのは健康な人ではなく病人である。私は義人ではなく、罪びとを招くために来たのである」という言葉を示され、神の憐れみとすべての人々を救いに導こうとするその意思の大きさを説かれた。
この後、各国の巡礼者に挨拶をおくられた教皇は、前日教会暦で記念された洗礼者聖ヨハネの殉教を思い起こしつつ、同聖人の英雄的な模範に従い、病者たちに日ごろの苦しみをキリストの十字架の苦しみに合わせ聖化していくよう、また新婚のカップルたちには深い相互愛のうちにキリストへの忠実を生きるよう勧められた。
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