ラファエル・ギサール・ヴァレンシアは、1878年メキシコのコティヤに生まれた。初等教育を小教区付属の小学校で受け、その後イエズス会経営の学校で高等教育を終了。1894年サモラ市にあった教区神学校に入学し、1901年、23歳で司祭に叙階された。神父になってすぐにラファエルは土地の教区長ホセ・マリア・カサーレス司教の教区司牧訪問旅行の供をし、この模範的な司牧者から司牧訪問を宣教の中で生かすことをつぶさに学んだ。
メキシコ政府の反宗教的迫害が激しくなりキューバに亡命、そこでラファエルは人々の間で疲れを知らぬ働きを見せ、使徒職の豊かな実りをもたらした。その間にメキシコ・ベラクルスの司教として任命され、1919年11月ハバナ市で司教に叙階された。そして、翌年1月、司教座のあったサラパ市に行き、正式にベラクルス教区教区長として着座した。
司教として任務に着くやいなやラファエル司教は教区内の貧しい人々や必要に迫られている人々のために愛徳事業に努め、特にそのころ同地方を襲った大地震の被害者たちの救済のために骨身を惜しまず働いた。
当時メキシコ全国、特にベラクルス地方を襲っていた政府の反宗教対策による迫害にラファエル司教は長いカルワルオを歩まなければならなかった。殺害の危険に常にさらされていた彼は、18年の司教生活で9年を亡命または地下活動という形で過ごした。また、糖尿病はじめ心臓病などの病気や他の様々な苦しみに耐えた。
しかし、苦難のうちにも豊かな使徒的実りを残し、1938年、ベラクルスでの迫害から避難していたメキシコ市の神学校で神の祖国へと旅立った。
ラファエルの遺体は、サラパに移され、多くの信者たちの愛と感謝に囲まれてその地に葬られた。ラファエルの墓所には今日でも無数の巡礼者たちが毎日絶え間なく訪れている。
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