教皇ベネディクト16世は、20日、バチカンのパウロ6世ホールで水曜恒例の一般謁見を行なわれた。
降誕祭を間近に控えたこの日の謁見の講話で、教皇は人となられたみことばという、神の最高の恵みといつくしみを表す神秘を驚きをもって観想し、目覚めて祈りながら救い主の訪れを待つよう、信徒らに呼びかけられた。
長い間神の民が待ち望んでいたメシアは、異邦人の圧迫から民を解放する権力に満ちた凱旋的な指導者ではなく、沈黙のうちに、極限の貧しさの中にお生まれになった。その方は、すべての人を照らす光としておいでになったが「民は受け入れなかった」(ヨハネ 1,9.11)、しかし「自分を受け入れた人々には、神の子となる資格を与えた」(同1,12)と教皇は述べ、罪や世のわずらいに捉えられることなく、節制のうちに目覚めてキリストを迎え入れることの大切さを説かれた。
現代の人類はまだ救い主を待ち望んでいるだろうか、と問いを投げかけた教皇は、多くの人は神に対し無関心で、神の必要はないように生き、信者の中でさえも安易な幸福を求めて道に迷うものがいると指摘、しかし、むしろそれゆえに人々は無意識のうちに唯一真の贖い主を待っていると話され、すべての人々のもとに訪れるキリストの降誕の真理を、それぞれの生き方をもって証しすることがキリスト者のつとめであると強調された。
そして、訪れる主を待つ祈り目覚めた態度を、ザカリア、エリザベト、羊飼いたち、東方三博士、貧しく単純な人々に見出されながら、何よりも幼子の誕生をおののきと共に待っていたマリアとヨセフの態度を自分のものとするようにと信者らを招かれた。
また、教皇はプレゼピオ(イエスの降誕を再現した馬小屋の模型)を飾る習慣を霊的な意味ではもちろん、文化・伝統的な意味からも奨励された。
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