教皇ベネディクト16世は、バチカンで4日、日曜正午のアンジェラスの祈りを信者と共に唱えられた。
復活祭前の準備期間、四旬節に入って第2回目の日曜日、教皇はこの日の福音朗読箇所、主の変容の場面(ルカ9,28b-36)を考察。ペトロ、ヨハネ、ヤコブを伴い祈るために山に登ったイエスが、祈っている間に栄光に輝く姿に変わり、隣に現われたモーセとエリアと語り合い、自分がエルサレムで遂げようとしている最期について二人が話すのに耳を傾けていたという出来事を観想された。
祈るイエスが御父との親しい対話において、たとえその栄光が十字架の受難によるものだとしても、自分がこの世に遣わされた使命から逃げることなく、むしろ御父のみ旨に完全に一致し、ますますその使命に深く入っていく様子を教皇は示され、キリスト者にとって祈りとは、現実や責任から逃避することではなく、神の忠実で限りない愛に信頼しそれを最後まで受け入れ果たす力を得ることであると強調された。
また、教皇はイエスの変容に示される栄光が、逆説的にイエスのゲツセマネの園における死の苦悶の祈りに実証されることを指摘され、そこでイエスは神の御旨に完全に自身を委ね、その時彼の祈りは私たちすべての救いのために捧げられることになったと述べられた。
教皇は「祈りとは二次的なもの、オプションではなく、生死に関わる問題」であると述べ、祈る人、すなわち子としての愛をもって神に信頼する人だけが、神ご自身である永遠のいのちに入ることができると説かれた。
説教の終わりに教皇は、先日のバチカン黙想会中の人々の祈りに感謝されると共に、第5回ヨーロッパ大学生の日を前に、3月10日(土)ローマの大学生参加のもと、ヨーロッパやアジア各国の大学生らとのテレビ中継を交え、ロザリオの祈りの集いを行なう旨を告げられた。
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