復活のキリストと弟子たちとの
出会いをテーマに
教皇一般謁見
(2007.4.11)

 

 教皇ベネディクト16世は、11日、水曜恒例の一般謁見を行なわれた。

 この朝、教皇は滞在中のカステルガンドルフォからバチカンに到着、復活祭の雰囲気あふれるバチカンの聖ペトロ広場で世界各国の数万人の巡礼者との出会いを持たれた。

 謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で教皇は、復活後のイエスと弟子たちの様々な出会いを考察することで、主の復活のメッセージの理解を深めるよう招かれた。

 この中でまず、マグダラのマリアから「主が墓から取り去られた」という知らせを受けたペトロと福音記者ヨハネが、共に競い合うように空になったイエスの墓に向かって走る(ヨハネ20,3-4)場面を思い起こされた教皇は、キリストを追求する競争こそ、キリスト者の唯一正当な競争であると述べられた。

 また、空の墓の隣で泣いていたマグダラのマリアが名前を呼ばれて初めて主を認めるエピソードにおいては、単純で誠実な心でひたむきに主を求めるならば、主自らが私たちの名を呼び私たちに会いに来てくださると話された。

 次いで教皇は、エマオに向かう2人の弟子とイエスの出会い(ルカ 24,13-35)に触れられた。共に歩いている旅人がイエスとは知らなかった弟子たちは、イエスが食事の席でパンを取り賛美の祈りを唱えてそれを裂いて渡した時に始めて目が開けたが、イエスとわかった時にはその姿はなかったというエピソードを教皇は振り返る中で、「彼らは食卓でイエスと共にいたが、私たちは心の中でイエスと共にいる」という聖アウグスティヌスの言葉を引用され、各自が心の中に本当にイエスを見出すよう努力を呼びかけられた。

 さらに、イエスの復活に懐疑的だったトマスは復活のイエスから自分の傷に触れるよう招かれたことに対し、マグダラのマリアはイエスから「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」(ヨハネ 20,17)と言われたことに注目された教皇は、この2つを相反する出来事ではなく、どちらも主の復活への理解を助け補い合うエピソードとして説明された。

 十字架の悲劇の記憶のもとにあるマグダラのマリアは、何ごともなかったかのような以前のイエスとの出会いを望んだが、イエスに出会うには過去に戻りつつ、さらなる新しい一歩を踏み出さなければならないことをイエスは教えていると教皇は指摘。

 同様にイエスはトマスにも、十字架を忘れさせるためではなく、未来においても忘れがたいものとするためにご自分の傷を示されたと述べられた。

 最後に、教皇は復活祭の喜びの挨拶をすべての巡礼者らにおくられた。

 → 教皇一般謁見・カテケーシス(要約)

 

 

 

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