マザー・マリ・ウージェニーら
教皇による4人の列聖式
バチカンで
(2007.6.3)

 

 教皇ベネディクト16世は、3日、バチカンでミサをとり行われ、この中でジョルジョ・プレカ神父、シモン・ダ・リプニカ神父、聖アンドレアのカルロ・ホーベン神父、イエスの聖マリア・ウージェニー修道女の列聖式を行なわれた。

 新しい聖人たちのゆかりの地から訪れた巡礼者たちは雨にも負けず、聖ペトロ広場で行われた列聖式で喜びを分かち合った。

 この日聖人として宣言された4人の人となりは以下のとおり。

 ジョルジョ・プレカ神父 (1880−1962)

  1888年、マルタ島に生まれる。若くして司祭職を志し、神学の勉強に励むかたわら、若者たちの教育に専念した。
  1906年、司祭叙階。1907年、再び若者たちのグループを集め、キリスト教説修道会の基礎を築き始める。若者たちに修徳生活とキリストの福音とカトリック教会の教えに深く根ざした生活を伝授し各地に派遣、カトリック要理を教授する要理センターを開いた。
  しかし、この事業は最初理解されず、1909年全てのセンターの閉鎖を命じられた。こうした中にも、ジョルジョ神父は会員らに、あらゆる侮辱や誹謗を柔和に穏やかに受け止めるよう勧告。1916年、マルタ島の司教はこの事業についての調査を命じ、その結果その正当性が公的に認められた。その後1932年には、キリスト教説修道会の法的な承認が与えられた。
  ジョルジョ神父は神のみ言葉の受肉の神秘に深い信心を寄せ、人となられた神の御子への深い愛を広める努力を惜しまなかった。彼はまた1957年にはロザリオの祈りに新たに5つの神秘を加えることを提唱し、その神秘を「光の神秘」と名づけた。
  1952年にオーストラリアに会員を派遣し、今日ではイギリス、アルバニア、ケニア、スーダン、ペルーにも会員たちがセンターを開き、キリストの福音とカトリック教会の教えの宣教に励んでいる。
  ジョルジョ神父は長年にわたる奉仕生活の後、1962年、マルタ島のサンタ・ベネーラで帰天。その後すぐに彼の墓は多くの巡礼者たちの集まる祈りの場となった。

 シモン・ダ・リプニカ・フランシスコ会司祭
(1435から1440頃−1482)

  1435年から1440年の間に南ポーランドのリプニカで生まれた。幼少の頃から信心深く、特に家族から伝えられた篤い聖母信心を持っていた。
  1454年、クラクフのヤゲロニカ大学に入学。ちょうどその頃、クラクフには聖ヨハネ・ダ・カペストラーノがいて、その聖なる生活と素晴らしい説教によって多くの青年たちがアッシジの聖フランシスコの生活に惹きつけられていった。1457年、シモンもストラドムのフランシスコ会修道院に入会した。1460年頃、司祭叙階。
  その後20年間にわたり、一般民衆の間で説教活動に従事。その説教をいつも長い祈りと聖書の深い研究によって準備し、彼自身が豊かに受けていた神の霊、聖霊の恵みについて非常に明確にわかりやすく説き聞かせた。
  1463年フランシスコ会士として初めてクラクフのヴァヴェル大聖堂の公式説教師に任命された。生涯を通してキリストの福音の教えに忠実に生き、特に病者や貧しい人々に誠心誠意奉仕した。
  クラクフでペストが猛威を振るう中、患者たちの枕元で神のみ言葉と秘跡の授与に献身し、本人も感染。十字架を見つめ、自分のために最も貧しい葬儀を願い、1482年帰天した。

聖アンドレアのカルロ・ホーベン・ 御受難会司祭
(1821−1893)

  1821年オランダのミュンスターゲレーンに生まれる。24歳で、オランダ・エールの御受難会修道院に入会。1850年、司祭叙階。
  1852年、副修練長および主任司祭になるためにイギリスに派遣された。
  1857年アイルランドのマウント・アーギュスの黙想の家に送られ、そこに1866年まで留まったが、同年、再び英国に戻った。
  1874年、再びアイルランドに呼び戻され、その生涯の最後の20年間を過ごした。
  特別に憐れみ深く、従順、清貧、謙遜、単純な生き方、主の御受難に対する篤い信心など、彼の聖徳と奇跡者としての評判は、アイルランド中に知られるところとなった。彼の英語は完全ではなかったが、特に告解を通して多くの人々の魂を神に導き、修道院には病者をはじめ多くの信者が祝福を求めて詰めかけた。晩年の病気や事故の後遺症による苦しみを神に捧げ、1893年、72歳で天に召された。

イエスの聖マリア・ウージェニー修道女
聖母被昇天修道会創立者(1817−1898)

  後にイエスのマリ・ウージェニーとなる、アン・マリ・ウージェニー・ミルレは、1817年フランスの裕福な家庭で誕生。大変繊細な神経の持ち主だったが、堅固な教育を受け、強い性格と己の義務に対する忠実とを身に着けただけでなく、社会問題など様々な事柄に開かれた精神を培われた。
  19歳の時、パリのノートル・ダム大聖堂でのドミニコ会士ラコルデール神父の説教により回心し、神にその生涯を完全に捧げる決心をする。コンバロ神父との出会いを経て、22歳で、観想生活と女子教育を目的とする聖母被昇天修道会を創立した。
  マザー・マリ・ウージェニーは社会発展の問題にも関心を示し、それらについて多く書き残した。その生涯多くの書簡を通し、霊的娘である修道女たちに長年にわたりその霊的教えを伝え、1898年に帰天した。
  現在、同修道会の活動は世界35カ国に広がるまでとなった。同修道会の日本管区は1952年に始まり、現在大阪(箕面本部および西成)、高松、東京に修道院がある。

 

 

 

 

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