教皇、コロンビアにおける
誘拐監禁を非難
(2007.7.1)

 

 教皇ベネディクト16世は、バチカンで1日、日曜正午のアンジェラスの祈りを信者と共に唱えられた。

 集いの中で教皇は、コロンビア革命軍によって2002年に誘拐され5年間監禁されていた11人の県議会議員が戦闘に巻き込まれ殺害された知らせに対し、犠牲者の遺族およびコロンビア国民と深い悲しみを共にされた。

 この残忍な殺害を厳しく非難された教皇は、誘拐監禁をただちにやめ、容認しがたい暴力の犠牲者たちを家族のもとに返すよう、沈痛な呼びかけを新たにされた。

教皇は祈りの前の説教で、この日のミサの朗読箇所を取り上げ、自由とは何か、キリストに従うとはどういうことかを考えられた。

 ルカによる福音書の「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた(9,51)」という一節の「決意」という表現に教皇はイエスの「自由」を見出され、神でありながらその自由を自分勝手に、自分の所有であるかのように行使することなく、任務として生きたイエスの姿を示された。

 「自由は愛からその意味を引き出す」と述べた教皇は、何かを失うことを恐れる人と、奉仕のうちに生きることを「決意」し、与え受けた愛のために人生の意味を豊かに見出す人と、いったいどちらが自由であるかと問われた。

 また、教皇はパウロのガラテヤの信徒への手紙「兄弟たち、あなたがたは自由を得るために召し出されたのです。ただこの自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに使えなさい(5,13)」という言葉を取り上げ、キリスト者の自由とは、十字架の犠牲に至るまで自分を与えることであり、逆説のように見えるが、キリストは十字架上で自由の極みを生き、それは愛の頂点でもあったと説かれた。

 教皇は、牢獄や拷問のもとでも自由であり続けることを示してこの真理を証しした多くの人々を思い起こされ、「真理に属する人は、いかなる権力にも隷属せず、常に自由に兄弟たちのしもべとなることができる」と話された。

 

vatican radio

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