教会の典礼暦で聖母の被昇天の大祝日を迎えた15日、教皇ベネディクト16世は滞在先のカステルガンドルフォでミサを捧げられた。
朝8時、教皇は離宮前の広場の一角にあるサン・トマソ・ダ・ヴイラノーヴァ教会に向かわれた。
カステルガンドルフォの小教区教会であるサン・トマソ・ダ・ヴイラノーヴァは、イタリアのバロック期を代表する建築家ベルニーニの設計によるもの。教皇ミサの行なわれたこの日、聖堂内は信者たちでいっぱいとなり、入りきれない人々が広場にあふれた。教皇は早朝のさわやかな広場を歩まれつつ、お年寄りや病者たちをはじめとする信者たちに祝福をおくられた。
ミサの説教で教皇は、聖アウグスティヌスが『神の国』で記しているように、人類の歴史には常に2つの愛、すなわち自分をなくし自らを捧げるまでの「神の愛」と、神を蔑視し他人をも憎む「利己愛」の戦いが見られてきたと述べられた。
教皇はその対峙する2つの力を、この日ミサ中に朗読されたヨハネの黙示録(11,19a; 12,1-6 , 10ab)に登場する「身に太陽をまとった女」と「大きな竜」の姿に見出されながら、恐怖と暴力を振りまく情け容赦ない竜に、全く無防備な女が最終的に勝利するまでを示された。
竜は信仰の価値観からは対極にある横暴な権力の象徴であり、それは、いつの時代にも見られた軍事・政治・経済・プロパガンダ的なこの世の権力であると同時に、物質主義、消費主義、利己主義・享楽主義といった今日のメンタリティーにも存在するものと教皇は指摘。
しかし、竜がいかに不敵に見えても、神は竜より明らかに強く、愛は必ずエゴイズムに打ち勝っていくと強調された教皇は、「身に太陽をまとった女」=マリアは、神の勝利、愛と善と勝利の偉大なしるしであると述べられた。
一方で、教皇は、苦しみ、迫害され、痛みと叫びのうちに子を産むこの女は、大きな苦しみをもってこの世界にキリストを生み、送り出す、すべての時代の旅する教会の姿でもあると説かれた。
そして、「教会はあらゆる憎しみと利己主義に対抗する神の愛のしるしとして存在し、神の光に照らされ、みことばと聖体に養われつつ、苦しみながらも勝利していく」と述べた教皇は、被昇天の聖母を見つめることで信仰を強め、喜びのうちに歩むよう信者らを招かれた。
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