「立ち上がりなさい」(ルカ7,14)。
親愛なるスイスのカトリック青年の皆さん、主キリストがナインの若者に言ったこの言葉が、今日、私たちのこの集いに力強く響き渡ります。
キリストの口から直に語られるその言葉に皆さんと一緒に耳を傾け、それを響かせようと、教皇はローマからわざわざやってきました。
大きな愛を込めて皆さん一人ひとりに挨拶をおくり、皆さんの暖かい歓迎に心から感謝します。
ルカの福音は一つの出会いについて語っています。一方には未亡人の息子の葬りのため墓地に向かう悲しみに打ち沈む葬列、もう一方にはキリストの言葉に耳を傾けキリストに従う弟子たちの喜びの一団。親愛なる若者の皆さん、今日も、ナインの村道を行くあの悲しみの葬列があなたたちをも巻き込む可能性があります。あなたたちが絶望の道に入り込もうとする時、消費主義社会の蜃気楼があなたたちをごまかそうとする時、はかない快楽があなたちを飲み込もうと真の喜びから皆さんをそらそうとする時、無関心と表面的な軽薄さがあなたたちを取り込もうとする時、この世にはびこる悪や苦しみを前にして神の存在や各自に対する神の愛を疑い始める時、真実で清純な愛に対する内的な渇きをふしだらな乱れた愛情で満たそうとする時、あなたたちもあの悲しみの葬列に連なることになるのです。
まさしくこのような時に、キリストはあなたたち一人ひとりのすぐそばにおられます。そして、あのナインの若者に言われたように、あなたたちの心を打ち目覚めさす言葉を言われます。「起きなさい、立ち上がりなさい」「あなたを再び立ち上がらせる招きに答えなさい」。
これは単なる言葉ではありません。あなたたちの目の前に立たれる、人となられた神のみ言葉、イエスご自身です。キリストは「すべての人を照らす真の光」(ヨハネ1,9)、私たちを解放する真理(ヨハネ14,6)、天の御父が豊かに与えてくれる生命です(ヨハネ10,10)。キリスト教は文化や理論に関する単なる本ではありません。また、たとえそれがどんなに高尚なものであったとしても、価値観や原理の体系でもありません。キリスト教とは、一人の「お方」「存在」「顔」、すなわち人生に完全な意味を与えてくれる「イエスご自身」なのです。
ですから、親愛なる若者の皆さん、繰り返しあなたたちに言います。「キリストに出会うことを恐れないで下さい」。聖書を注意深く読み、その言葉に心を開くことによって、あるいは個人的な祈りや共同体としての祈りの中に、キリストを探し求めなさい。聖体の秘跡に行動的に参与することによって、赦しの秘跡を通して、司祭の中に、また小教区共同体や様々な教会運動やグループを通してその姿を表す教会の中に、苦しむ兄弟たち、貧しい人々、外国人の中に、キリストを探しに行きなさい。皆さんの多くの仲間たちが、このような方法でキリストを探し続けています。
私にも20歳の時がありました。その頃、私はスポーツをしたり、スキーに行ったり、演劇活動をしたりするのが大好きでした。勉強し、また労働もしていました。もう遠い昔になってしまったあの時代、私の祖国は戦争と全体主義支配のもとで苦しんでいました。私はそうした状況の中で、私自身の人生の意義を探し求めていました。私はその意義を、主イエス・キリストに従うことの中に見出したのです。
親愛なる若者の皆さん、青春とは、あなたの人生をどのように生きるべきか、世界を少しでもよくするために、また、正義を促進し平和を築くためにはどうしたらよいのか、一人ひとりが自問する時です。
「耳を傾けなさい」。これが私が皆さんに向けたいと思っている第2の呼びかけです。「耳を傾ける」というのは決して易しいことではありません。それでも、この訓練を諦めずに続けてください。日々の出来事や人生に伴う喜びや悲しみ、皆さんのまわりにいる人々、幸福や真・善・美に飢え渇くあなたたちの良心の声を通して、一人ひとりに語りかける主の声に耳を傾けなさい。
もしもあなたたちが心を開き、素直に聞き従うことができるなら、「あなた自身のための召命」、すなわち、神があなたのためにその愛をもっていつも考えておられたあのご計画を発見できるでしょう。
男女の間に交わされる契約である、生涯にわたる忠実な一致をめざす結婚にしっかりと根ざした家庭を、あなたたちも築くことでしょう。そして、あなたたち自身の証を通して、すべての家庭にとっての「福音」、実際に生きた体験として、どんなに困難や障害があったとしても、キリスト教的結婚生活を完全に生きることは可能なのだということを、示すことができるでしょう。
また、もしそれがあなたたちの召命ならば、分かたれない心で生涯をキリストと教会に捧げ、今日の世界における神の愛に満ちた存在の印として、司祭や修道者・修道女になることもできるでしょう。あなたたちの多くの先輩たちのように、祈りの中に目覚め、共同体に喜んで広い心で奉仕する、疲れを知らぬ勇敢な使徒となることもできるでしょう。
そうです、あなたたちの目の前には、このような可能性があるのです。しかし、このような決断の前に、あなたたちが躊躇することも十分理解しています。けれども、繰り返し言います。「恐れないで下さい」。神は寛大さに必ず報います。私が司祭になってからもうほとんど60年が経ちます。けれども、私は今こうして皆さんの前で、神のみ国のために最後の最後まで自分を使い果たすことがどんなに素晴らしいかを証しできることを、大変嬉しく思っています。
スイスの若者の皆さん、もう一つ、第3の招きがあります。「歩き始めなさい」という招きです。議論するだけで満足しないでください。善を実行するために、決して来ない好機を待たないで下さい。もうすでに「行動する時」なのです。
第三千年期の始めにあたって、あなたたち若者たちは、生活の証しをもって福音のメッセージを宣言するよう呼ばれています。キリストの福音を社会の中に浸透させ、真の正義に根ざした差別のない愛の文明を起こすために、教会は皆さんのエネルギー、その熱意、あなた方の若々しい理想を必要としています。
しばしば光も、高尚な理想を追求する勇気も欠けている今の時代には、いつにもまして、福音を恥じたりする時ではないのです(ローマ1,16)。むしろ屋根の上から福音を宣言すべき時です(マタイ10,27)。
ローマ教皇、皆さんの司教たち、全キリスト教共同体が、皆さんの働き、寛大さに大きな期待を寄せています。そして、信頼と希望をもってあなたたちを見守っています。
スイスの若者たち、歩き始めなさい。主は皆さんと共に歩まれます。
キリストの十字架をしっかりと握りしめなさい。生命のみ言葉をいつも唇に留めなさい。心の中は復活された主の救いの恵みを保ちなさい。
立ち上がりなさい。あなたたちに語りかけるのはキリストご自身です。
キリストに耳を傾けなさい。
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