親愛なる兄弟姉妹の皆さん
今日のカテケーシスでは詩編第45番に注意を向けてみたいと思います。この詩編は当時のイスラエルの宮廷詩人が王族の結婚式を寿いで謳った歌です。王たちの結婚式の華やかさ、美しさ、その喜びに溢れた情景が彷彿としています。学者たちはこの詩編が歴史的にどの王朝の誰の結婚式を歌ったものなのかを極めようとしましたが、はっきりとした時期を定めることはできませんでした。しかし、イスラエル王朝の王族の結婚式を歌っていることは確かです。
伝統的にこの詩編は、メシア、救い主である王について歌っている歌とされ、最高の救い主、真のメシアであるキリスト自身にあてはめて解釈されています。
この詩編を唱える時、私たちはまず第一に王の結婚式の美しさとその壮麗さに打たれます。そして、キリストのみ顔の美しさを観想する時、それは私たちに罪の醜さを放棄し、神的な完徳に私たちを向けさせてくれるのです。
しかし、王はまた正義でもあります。「神は正義を愛され、悪を憎まれる」。美しさに善良さと生活の聖性が加わる時、天的な輝きは世界を照らし、私たちは、神の善良さとその不思議、そして正義を垣間見ることになるのです。
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