かの有名な聖体讃歌の始めに、私たちは聖体の秘跡の中に隠れておられる神なるキリストを礼拝しつつ、「隠れいます神よ、私たちはあなたを謹んで礼拝いたします」と謳います。
聖体年を特別に記念するこの年にあって、この言葉は私の心の中で毎日繰りかえし響きわたります。
福音書は聖母マリアの子、イエスが「馬小屋のまぶねに産着に包まれて寝かされた」(ルカ2,12)と語っています。私たちはこのマリアの子の中に「天から降ったパン」(ヨハネ6,41.51)、世界に生命をもたらすために地上に降られた救い主を認め、礼拝します。
「ベトレヘム」。聖書が語っているイエスの生誕の地はベトレヘムでした。ベトレヘムはヘブライ語で「パンの家」を意味しています。この町で「自分は生命のパンである」(ヨハネ6,35.48)と言われた「救い主、メシア」が誕生するはずでした。
裂かれたパンの印の中に、その過越しの記念を残されたお方が、ベトレヘムで誕生しました。この聖なる夜に「幼子イエスの礼拝」は「聖体礼拝」となるのです。
主よ、私たちは、祭壇の聖体の秘跡の中に実際に現存され、人々に真の生命をもたらす生けるパンであるあなたを礼拝します。
まぶねに横たわる無力な幼子よ、私たちはあなたを唯一の神として認めます。教父聖イレネオは、「時が満ちたとき、終わりを始めに、すなわち、人間を神に一致させるためにあなたは人となられました」と言っています。
この夜、私たちの神なる救い主であるあなたは誕生されました。そして、私たちのために時間の中を旅する永遠の生命の糧となられました。
聖母マリアの汚れなきご胎内で人となられた神の永遠の御子よ、私たちを思い出してください。多くの困難と試練に見舞われている全人類は、今あなたを必要としています。
私たちの救いのために天から降られた生けるパン、主よ、私たちと共に留まって下さい。いつまでも私たちと共にいてください、アーメン。
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