親愛なる兄弟姉妹の皆さん
今週のカテケーシスの考察材料である詩編137番は、エルサレム破壊とバビロン捕囚についての嘆きの歌、解放のための心からの祈り、聖なる都への憧れの表現です。
捕われと悲しみの場としてのバビロンの記憶は、前世紀にユダヤ人たちの虐殺が行われた死と恐怖の場、強制収容所を想起させるものです。
自由と典礼の中でこそ歌い捧げることのできる「主の歌」を、捕囚たちは、その嘆きの中でもう歌うことはできません。
この待降節の間、教会は聖なる都に対する郷愁を歌うこの詩編を、キリストの到来を待ち望む希望の祈りとして読みます。
聖アウグスティヌスが言うように、私たちはこの詩編をただ歌うだけではなく、天のエルサレムへの深いあこがれの念に私たちの心を上げて生きるよう招かれているのです。
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