一般謁見・講話(一部抜粋)
(2006.9.20)

   

 (9月12日のレーゲンスブルグ訪問に触れて)

  この日、私にとって特に素晴らしい体験だったのは、かつて教授として長年教えたレーゲンスブルグ大学で多くの教授や学生たちを前に講義を行なったことです。私の人生の長い期間、精神的祖国でもあった大学という世界に、再び喜びをもって出会うことができたのです。

 講義のテーマとして私は信仰と理性の関係の問題を選びました。このテーマのドラマティック性と今日性に聴衆を導くために、私は14世紀のキリスト教徒とイスラム教徒間のある対話の言葉を引用しました。話者はビザンチン皇帝マヌエル2世パレオロゴスです。彼は私たちには理解しがたいぶしつけな態度で、イスラム教徒の対話者に宗教と暴力の関係の問題を提示しました。

 この引用は、残念なことに、誤解される可能性がありました。しかし、私の原稿を注意深く読んでいただくならば、私がいかなる方法においてもこの対話で中世の皇帝が述べた否定的な言葉を私のものとするつもりはなく、その批判的内容が私の個人的信念を表現したものではないことが明らかになると思います。

 私の意図はまったく違ったものでした。マヌエル2世がその後に前向きな態度で言った言葉、信仰の伝達を導くべき理性についての素晴らしい言葉をもって、宗教と暴力ではなく、宗教と理性が共に歩むことを私は説明しようとしたのです。

 大学の使命に応えた私の講義のテーマは、したがって信仰と理性の関係でした。私はキリスト教と現代世界の対話に、そしてすべての文化と宗教の対話に招きたいと思ったのです。

  訪問中の様々な機会で、例えばミュンヘンで、私は他の人々にとって聖なるものを尊重することがいかに大切かを強調しましたが、偉大な宗教、特に「唯一の神を礼拝する」イスラム教徒に対する私の深い尊重が明らかになることを心から希望します。私たちはイスラム教の人々と「社会正義、倫理価値、平和と自由を、すべての人々のために共に守り、促進させる」(『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』3章)義務があるのです。

 こうしたことで、最初の反応の後、私のレーゲンスブルグ大学での言葉が、諸宗教間や現代理性とキリスト教との間の、前向きでまた自己批判的な対話への刺激と励ましを形作ることを願っています。

 

 

 

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