ウルビ・エト・オルビ
降誕祭メッセージ
(2007.12.25)

   

 「私たちのために聖なる日が到来しました」
  皆、主を拝みに来てください。今日、輝かしい光が地上に降りてきました。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、「聖なる日が私たちのために到来しました」。 偉大なる希望の日です。今日、人類の救い主が誕生されました。その誕生を心待ちにするすべての人々に希望の光をもたらす一人の幼子の誕生です。ベトレヘムの洞窟でイエスが誕生された時、地上に偉大な光が現れました。大きな希望が待ち焦がれていた人々の心の中に入り込みました。

 主の御降誕を祝う今日の典礼は「偉大な光が現れた」と歌います。確かにこの世の感覚によれば、それは偉大な光とは言えないかもしれません。その光を最初に見た人々は、マリアにヨゼフ、そして数人の羊飼い、そして次に東方からの博士たち、シメオン老人、女預言者アンナ、すなわち神から特別に選ばれた人々だけでした。あの聖なる夜は誰からも知られず、沈黙の中にありました。けれども、その中で、すべての人のために決して消えることのない輝かしい光が灯されたのです。この世に幸福をもたらす偉大な希望が到来しました。「神のみ言葉は人となりました。私たちはその栄光を見たのです」。

 「神は光です。神の中に闇はありません」と聖ヨハネは言っています。創世記には世界の始まりについて次のように書かれています。「はじめに神は、天と地をつくられた。地は形なくむなしいもので、闇は深淵をおおい、水の上に神の霊がただよっていた。神が『光あれ』とおおせられた。すると光があった」。

 神の創造の力を帯びた言葉は光であり、生命の源です。万物はみことばによって創られました。存在するありとあらゆるもののうちに、ひとつとしてかれによらずに創られたものはありません。ですから神によって創られたものはすべて根本的に善いものであり、存在そのものの中に神の刻印、その光の火花を持っているのです。

  けれども、イエスがおとめマリアからお生まれになった時、光そのものがこの世に来ました。使徒信条の中で私たちは「神からの神、光からの光」と宣言します。神はイエスにおいて神であることを保ちながら、もともと自分のものではなかった姿をとられました。聖アウグスティヌスはその説教の中で「神の全能は幼子の体の中に入りました」と言っています。人間の創り主であるお方が、この世に平和をもたらすために人となられました。このために降誕祭の夜に天使の群れは「天のいと高きところには神に栄光、地にはみ心にかなう人々に平安」と歌うのです。

 「今日輝かしい光が地上に降りてきました」
  キリストの光は平和をもたらす光です。降誕祭の深夜ミサの典礼は「今日、真の平和が天から私たちのところに降りてきました」という賛歌で始まりました。キリストにおいて現れたあの偉大な光だけが、人々に「真の」平和をもたらすことができるのです。ですから、すべての人々がこの光を受け入れ、ベトレヘムで私たちの一人となられた神を受け入れるようにと呼ばれています。

 これが主の降誕です。2千年間以上にわたって、すべての時代、すべての場所の、あらゆる男女に語りかけてきた歴史的な出来事、愛の神秘です。平和をもたらすキリストの偉大な光が輝く聖なる日です。もちろん、この光を認め受け入れるためには、信仰が必要です。謙遜が必要です。主の言葉を信じ、まぶねに屈み、自分の子を第一に礼拝したあのマリアの謙遜、信仰に満ちた勇気を持ち自分自身の評判よりも神に従うことを選んだ義人、ヨゼフの謙遜、天のみ使いの知らせを受け入れ急いで洞窟に走り、そこに生まれたばかりの幼子を見出し、驚きに満ちながらも神を賛美し、その幼子を礼拝した羊飼いたち、貧しく名もないあの羊飼いたちの謙遜が必要です。小さく貧しい者たち、彼らこそ、昔も今も降誕祭の主役なのです。彼らこそ、神の歴史の常なる主役であり、神の正義と愛と平和のみ国の疲れを知らぬ建設者たちなのです。

 イエスはベトレヘムの夜のしじまの中に生まれ、優しい手に包まれ受け入れられました。今日、この私たちの降誕祭に、救いをもたらす贖い主の誕生の喜ばしい知らせが響きわたり続ける中、誰が心の扉を開き、彼を受け入れる用意があるでしょうか。キリストは、この時代を生きるすべての人々、私たちのためにも光をもたらしに、私たちのためにも平和を与えに来られるのです。誰が不確かで不安なこの夜に、祈りのうちに目覚めているでしょうか。一体、誰が信仰の火を灯し続け、新しい日の曙を待ち続けるでしょうか。誰が彼の言葉に耳を傾ける時間を持ち、その愛の魅力に惹きつけられていくでしょうか。そうです。彼の平和のメッセージはすべての人々のためです。彼は救いの確かな希望として、自分自身をすべての人々に捧げるために来られるのです。

 悲惨と不正と戦争の闇の中にあるすべての人々のために、また、健康や教育、安定した仕事、市民としての完全な参政権、あらゆる圧迫や人間の尊厳を損なう状態からの解放などへの、正当な渇望を否定されているすべての人々のために、あらゆる人を照らすために来られるキリストの光が再び輝き、慰めをもたらしますように。耐え難い苦しみをもたらす血なまぐさい武力闘争や、テロリズム、あらゆる暴力の犠牲者たちは、いつも特に弱い立場にある子ども、女性、そして老人たちです。一方で、人種、宗教、政治的信念の違いから来る緊張関係、政治的不安定、敵対意識、様々な対立、不正などが多くの国々を内部から引き裂き、国際関係をますます悪化させています。今日の世界では、移民や難民、避難民の数がますます増加しています。その原因は、しばしば憂慮すべき自然環境破壊に由来する、自然災害にもあります。

 この平和の日に、思いは特に武器の轟音の止むことのない地方に向かいます。苦悩に満ちた地、ダルフール、ソマリア、コンゴ民主共和国北部、エリトリアとエチオピアの国境地帯、中東全域、特にイラク、レバノンや聖地、そして、アフガニスタンにパキスタン、スリランカ、バルカン地方、さらに危機に面しながらも多くの場合忘れ去られた他の地域にも私たちの思いは向かいます。幼きイエスが試練の中にある人々を支え、政治責任者たちに人道的で正義にかなった永続的な解決策を求め見出す知恵と勇気を与えてくださいますように。

 今日の世界に顕著な意義と価値観に対する渇望、全人類の生活と切り離すことのできない平和と幸福の探求、貧しい人々の期待に、まことの神でありまことの人であるキリストはその誕生をもって答えくださいます。一人ひとり、そして国々が、キリストを認め、キリストを受け入れることを恐れませんように。キリストと共に「輝かしい光」が人類全体を照らしてくれます。キリストと共に終わることのない「聖なる日」が始まります。この降誕祭がすべての人々にとって喜びと希望と平和の日となりますように。

 「皆、主を拝みに来てください」
  マリアとヨゼフと羊飼いたち、東方からの博士たち、そして主の降誕の神秘を受け入れ、生まれたばかりの幼子イエスを慎ましく礼拝する者たちの、世紀にわたる数限りない群れと共に、世界の兄弟姉妹の皆さん、私たちもまた、この日の光があらゆるところに届くままにしましょう。この光が私たちの心の中に浸透し、家々を照らし暖め、私たちの町に希望を、世界に平和をもたらすように努めましょう。これが、私のことばに今耳を傾けてくださっている皆さんへの私の心からの願いです。幼きイエスの光が皆さんの生活からあらゆる闇を取り除き、一人ひとりを愛と平和で満たしてくださるよう、御子に謙遜で信頼に満ちた祈りを捧げます。

 キリストにおいてその憐れみのみ顔を輝かせてくださった主が、皆さんを幸福で満たし、その愛の使者としてくださいますように。

 ご降誕祭おめでとうございます。

 

 

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