福者聖クレメンテのエリア修道女は、1901年1月17日、南イタリアのバーリにて誕生、テオドーラと名づけられる。父は建築関係の仕事に従事していたが、後、ペンキや建築資材を売る店を開いた。母親は専業主婦だった。両親はそろって大変熱心なキリスト信者で9人の子宝に恵まれたが、その中4人は幼くして死去した。
1905年、小さなテオドーラは夢の中で花輪を手繰っている一人の美しい婦人を見たと言っている。テオドーラはこの婦人が突然光の中に消える前に、自分が大きくなったら修道女になると約束した。
テオドーラは聖痕修道会経営の幼稚園に送られ、小学3年生までそこで学習を続けた。1911年、初聖体の前晩「あなたは私のように修道女となるでしょう」と預言する幼いイエスの聖テレジアの夢を見た。その後、同修道会経営の洋裁刺繍学校に通う。
ドミニコ会修道女福者イメルダ信心会に入会、そこで聖体の秘跡に対する深い信心を養う。その後、聖トマス・アクイナス信心会に入り、定期的な集いで「福音書」や「キリストに倣いて」「聖母マリアの5つの土曜日」「聖人伝」特に「幼いイエスのテレジアの自叙伝」などを読み黙想していた。
テオドーラは1915年から1918年の戦争中の困難な時代、人々の間でカテケーシスを教えたり、隣人たちに奉仕するという、使徒職への熱い望みを熟させた。
1917年の終わり頃、指導司祭の勧めに従い、バーリのカルメル会修道院に通い始め、1919年、入会のための熱心な霊的準備をした。
1920年、カルメル会修道院に入会し、聖クレメンテのエリアという名で修練女となる。1921年、初誓願宣立。エリア修女は、カルメル会創立者イエスの聖テレジアのみならず、幼いイエスの聖テレジアをもその模範、指導者として仰いだ。1925年、荘厳誓願宣立。
最初から彼女の霊的歩みは平坦ではなかった。しかし、エリア修道女はあらゆる困難な状況を深い信仰の精神を持って乗り越えた。会則と共同体の仕事に完全な忠実さを示し、修室での孤独を守り、祈りと手仕事に専念し、神と共なる孤独のカルメルの霊性を生き抜いた。
1927年、重い感冒にかかり非常に苦しんだ。それ以来、しばしばエリア修道女は強い頭痛に悩まされたが、決して嘆くことはなく、また薬を取ることなくそれを耐え忍んだ。
しかし、降誕祭も間近な12月21日、高熱とひどい苦しみに見舞われた。容態は日増しに悪化、同月24日、医者の診察を受け、脳炎と診断された。生前エリア修道女が「私は大祝日に死ぬでしょう」といっていた通り、翌12月25日に息を引き取った。
年若いこのカルメル会修道女は、多くの人々に「すべての人々の人生の目的」だといっていた天国への道、大きな喜びの道を進む必要性を、その短い単純な奉献生活を通して教えたのだった。
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