1978 10.16 カロル・ボイティーワ枢機卿、264代目ローマ教皇に選出される
10.17 ラジオを通して最初のメッセージ
10.22 着座式
11. 5 アッシジ巡礼
1979 1.24 ソ連のグロムイコ外相と会見
1.25 最初の海外司牧訪問、ドメニカ共和国、メキシコ、バハマへ
3. 4 最初の回勅「人類の贖い主」
6 .2 登位後初めて祖国ポーランドへ
6.30 最初の枢機卿会議召集、新枢機卿14名任命
9.29 アイルランド、国連、米国訪問へ
11. 2 トルコ訪問へ
1980 5. 2 最初のアフリカ訪問、ザイール、コンゴ、ケニアなど6カ国
6. 2 ユネスコ(パリ)で講演
6.21 カーター米大統領と会見
8.20 ポーランドの連帯(ソリダリノシュ)運動に初めて言及
10.17 エリザベス2世英女王と会見
11.29 回勅「いつくしみ深い神」
12.19 ユーゴスラビア連邦ミヤトビッツ大統領と会見
1981 1.15 ワレサ氏率いるポーランドの労働組合と会見
2. 8 ローマのユダヤ教指導者と会見
2.23 日本訪問(〜26)東京・広島・長崎へ
5.13 一般謁見中の聖ペトロ広場で狙撃される 手術・入院
6. 3 バチカンに戻る
6.20 再入院
8.14 退院 カステルガンドルフォへ(16〜)
9.14 回勅「働くことについて」
1982 1. 6 中国の教会のために、書簡「カリタス・クリスティ」
3.21 中国の教会のためにミサを捧げる
5.13 ファティマにて全世界を聖母の汚れなき御心に捧げる
5.28 イギリス訪問へ 英国国教会のランシー大主教と会見・
共同宣言(29)
6. 7 レーガン米大統領と会見
6.10 ブラジル・アルゼンチン訪問へ フォークランド戦争に言及
6.15 ジュネーブの国際労働機関で演説
9.15 アラファトPLO議長と会見
10.10 アウシュビッツの殉教者コルベ神父を列聖
11.26 「贖いと和解の特別聖年」(83.3.25〜84復活祭)宣言
1983 2. 2 第2回枢機卿会議 18人の新枢機卿誕生
3.25 贖いと和解の特別聖年開幕
8.14 ルルド巡礼
12.11 ローマのルーテル派教会関係者を歴代教皇として初訪問
12.27 ローマの刑務所訪問 服役中の狙撃犯アリ・アジャと対面
1984 2.11 人間の苦しみのキリスト教的意味を問う使徒的書簡
「サルヴィフィチ・ドローリス」発表
2.22 サヘルの砂漠化と闘うサヘル・ヨハネ・パウロ2世基金設立
4.22 贖いと和解の特別聖年終了
5. 6 ソウルで韓国殉教者103人を列聖
1985 2.19 ペレス・イスラエル首相と会見
2.27 グロムイコ・ソ連外相と会見
3.26 使徒的書簡「全世界の青年へ」
3.30 「国際青年年」にちなみローマで国際青年の日大会
5.25 第3回枢機卿会議 28人の枢機卿任命
6. 2 回勅「スラブ人の使徒」
7.17 日本の中曽根首相と会見
11.17 ジュネーブでの米ソ首脳会談に向け、レーガン大統領、
ゴルバチョフ議長に書簡
1986 1.31 インド訪問へ(〜2.10) マザー・テレサの施設を訪問
4. 5 教理省文書「キリスト的自由と解放に関する教示」
4.13 歴代教皇として初めてユダヤ教会堂訪問
5.18 回勅「聖霊−生命の与え主−」
10.27 アッシジで諸宗教代表者らとの平和祈祷集会
1987 1.13 ヤルゼルスキ・ポーランド大統領と会見
3.25 回勅「救い主の母」
3.31 ウルグアイ、チリ(ピノシェ政権下)アルゼンチン訪問へ
6. 6 レーガン米大統領会見
6. 7 聖母の特別年(〜88.8.15)開幕
1988 2.14 ウクライナのカトリック信者へのメッセージ
6.28 教皇庁改革教書「パストル・ボヌス」により 教皇庁内の諸機関の改革・整理
6.28 第4回枢機卿会議 24人の新枢機卿任命
8.15 使徒的書簡「女性の尊厳と使命」
8.15 「聖母の特別年」閉幕
9.10 アフリカ訪問へ モザンビーク内戦終結訴える
10. 8 ストラスブールの欧州議会で演説
1989 5.27 ブッシュ米大統領(シニア)と会見
7.17 東欧国として初めてポーランドとバチカン国交樹立
8.19 スペイン、サンティアゴ・デ・コンポステーラで世界青年の日出席
8.28 第2次世界大戦勃発50年 戦争を反省する記念メッセージ
9. 7 レバノンの平和を願う使徒的書簡
10 .6 アジア・太平洋訪問へ 東ティモールでミサ
12. 1 ソ連のゴルバチョフ議長と会見 同国の最高指導者との初会談
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